フェルメールはフォトグラファーだった!?「真珠の耳飾りの少女」とカメラ・オブスクラを現役カメラマンが解説

写真が上手くなりたい

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2026年 14年ぶり、日本に来るのはこれが最後とも言われている

「フェルメール《真珠の耳飾りの少女》展」はご存知でしょうか?

チケットが争奪戦になっているようですね💦

そんなフェルメールに関してちょっとしたコラムをお届けしたいと思います。

このコラムを読むと

フェルメールの見方が変わってより一層面白くなる

と思います!

フェルメールの作品に関して

昔から語られてきたのが、「フェルメールはカメラ・オブスクラを使って描いたのではないか」という説です。

カメラ・オブスクラは、カメラの直系のご先祖にあたる装置。

今回は現役カメラマンの目で、この説を紹介します。

フェルメールとは。生涯で約35点しか残さなかった「光の魔術師」

ヨハネス・フェルメール(1632〜1675)は、

オランダのデルフトという町で活動した画家です。

代表作は「真珠の耳飾りの少女」と「牛乳を注ぐ女」。

特徴は2つあります。

1つ目は極端に作品数が少ない。

現存する作品は約35点しかありません。同じ時代の売れっ子画家が数百点を残しているのと比べると、異常な少なさです。

それだけ1枚に時間をかけていました。

2つ目は光の描写です。

フェルメールの絵の多くは「左の窓から柔らかい光が入る部屋」で統一されています。

直射日光ではなく、曇りの日の窓のような、影のやわらかい光。

この描写のうまさから「光の魔術師」と呼ばれます。

「真珠の耳飾りの少女」は1665年ごろの作品で、オランダのマウリッツハイス美術館にあります。

実在の誰かを描いた肖像画ではなく、「トローニー」と呼ばれる架空の人物の顔の習作です。

つまりこの少女が誰なのかは、記録が存在しません。

それも人気の理由のひとつでしょう。

カメラ・オブスクラとは。「カメラ」の語源になった暗い部屋

カメラ・オブスクラはラテン語で「暗い部屋」という意味。

仕組みは単純で真っ暗な部屋の壁に小さな穴を開けると、外の景色が反対側の壁に上下逆さまに映ります。

ピンホールカメラと同じ原理です。

歴史は写真よりはるかに古く、

世界最古の記録は紀元前5世紀頃の中国にあります。

思想家の墨子(ぼくし)の書物に、

「小さな穴を通った光が、逆さまの像を作る」

というピンホール原理の観察がすでに書かれているのです。

今から2400年ほど前の話です。

17世紀にはガリレオ・ガリレイが太陽の黒点を調べるとき、望遠鏡が作る像を紙に投影して観察しました。

「像を投影して安全に見る」というカメラ・オブスクラの原理の応用でした。

同じころ画家たちも、「景色をなぞって正確な下絵を取る道具」として

カメラ・オブスクラを使い始めます。

部屋サイズだった装置は、やがて持ち運べる箱型になりました。

日本の有名な画家もこの現象を知っていた。

江戸時代の葛飾北斎が「富嶽百景」の中の一図「節穴(さいあな)の不二」で、

雨戸の節穴から差し込んだ光が、部屋の中に逆さまの富士山を映す様子を描いています。

まさにピンホール現象そのもの。

北斎はこれを面白がって絵にしたわけです。

そして19世紀、箱に映った像を薬品で定着させる方法が発明されます。

それが写真の誕生です。

カメラ・オブスクラの「オブスクラ」が取れて、装置の名前は「カメラ」になりました。

私たちが毎日使っているカメラの名前は、この暗い部屋から来ています。

「真珠の耳飾りの少女」に残るカメラ・オブスクラの痕跡

では本題です。

この絵には、レンズ越しに見た世界の特徴がいくつも指摘されています。

痕跡①:輪郭線がない。

少女の鼻筋や頬の輪郭は、線ではなく明暗のグラデーションだけで描かれ、背景に溶けています。

開放気味のレンズで撮ったポートレートの、ピントの浅い柔らかさにそっくりです。

痕跡②:ハイライトが「光の粒」になっている。

主役の真珠をよく見ると、細かく描き込まれていません。

強い白のハイライトと、襟の白の映り込み、たった数筆です。唇にも小さな光の点が置かれています。

この粒状の光は、レンズがピントの外で作る丸い光(いまの言葉でいう玉ボケ)に似ている、

と多くの研究者が指摘しています。

痕跡③:瞳のキャッチライト。

少女の両目には窓の光が白い点で映り込んでいます。

私たちカメラマンが撮影した写真の瞳を見て「光源がどこにあったか」を読み取るのと、

まったく同じ見方がこの絵に対してできます。

ただし、フェルメールがカメラ・オブスクラを使った直接の証拠は見つかっていません。

死後の遺品目録に装置の記録はなく、下絵も残っていないのです。

あくまで「状況証拠のそろった有力な仮説」です。

それでもこの説を支える材料は増え続けています。

2001年に建築学者フィリップ・ステッドマンが、

絵の遠近法からフェルメールのアトリエの寸法を割り出し、カメラ・オブスクラの使用と矛盾しないことを示しました。

画家のデイヴィッド・ホックニーも同じ年に、昔の巨匠たちが光学機器を使っていたという説を発表しています。

2013年の映画「Tim’s Vermeer」では、絵の経験がない発明家が光学装置を頼りに

フェルメールの「音楽の稽古」を再現してみせました。

もうひとつ、状況証拠として

フェルメールと同じデルフトの町に、同い年のレーウェンフックという人物がいました。

自作のレンズで顕微鏡を作り、人類で初めて微生物を見た男です。

そして彼は、フェルメールの死後に遺産管財人を務めています。

当代一のレンズ職人と光の画家が、同じ小さな町で確実につながっていたのです。

カメラマンにとって、この絵は350年前の「ライティングセット図」

カメラ・オブスクラを使ったかどうかの結論は、専門家に任せましょう。

カメラマンとして確実に言えるのは、この絵が優秀なライティングの教科書だということです。

セットを図にするなら、こうなります。

– 光源は左上からの大きく柔らかい1灯(北向きの窓の光)

– 起こしのレフはなし。顔の右側は素直に落とす

– 背景は黒く落として、人物だけを浮かび上がらせる

– 仕上げに瞳と唇と真珠へキャッチライト

大きな窓のサイド光と黒い背景があれば、今日、同じ光を作れます。

道具が絵筆からカメラに変わっただけで、光の考え方は350年前から変わっていません。

フェルメールはフォトグラファーだった!?

最後に、この記事で一番好きな話をします。

「photograph(写真)」は、

ギリシャ語のphoto(光)とgraph(描く)を組み合わせた造語です。

直訳すれば「光で描いたもの」

19世紀に写真が発明されたときに生まれた言葉で、

よく読むとカメラという道具は定義のどこにも入っていません。

つまりフォトグラファーとは、「光で描く人」のことです。

窓からの光を計算し、瞳にキャッチライトを置き、真珠の上に光の粒をのせる。

フェルメールがやっていたのは、まさに光で描くことでした。

道具が筆だったというだけで、彼は写真の発明より170年以上早く生まれたフォトグラファ

ちなみにこのブログの名前「I am Photon grapher」も、この語源に光の粒(photon=フォトン)を重ねたものです。光で描く人でありたい、という看板です。

次に美術館や画集で絵を見るときは、「光源はどこに、いくつあるか」を探しながら見てみてください。名画が全部、無料のライティング教材に変わります。上質なものを見て審美眼を育てる話は、Evoto AIの記事の後半でも書いています。

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